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照姫まつりは、地元に伝わる「金の乗鞍と照姫」の伝説を題材にした物語を演じます。
道灌に攻められ最後を悟った石神井城主・豊島泰経は、家宝「金の乗鞍」を置いた白馬にまたがり、城の背後の三宝寺池に身を沈めた。泰経の娘、美しく聡明な照姫もまた父の死を悲しみ、後を追って三宝寺池に身を投げた。
道灌はこれを憐れみ、照姫の亡骸を弔って塚を築き、この塚はいつしか姫塚と呼ばれ、そのそばに立つ老松に登ると、池の底に泰経とともに沈んだ金の鞍が燦然と輝いているのが見える。
大正7年(1918年)刊行の『東京府北豊島郡誌』(北豊島郡農会刊行)は、地域の神社仏閣や伝説、風俗などが記されたものです。
その中で、「豊島泰経が落城に際し、愛馬諸共池に入り戦死した。この松の上から池底を望むと、金の乗鞍が光ると伝へられ、この松を照日松と呼ぶ」と記述されています。※出典:練馬ふるさと事典(2011年、練馬古文書研究会)
「金の乗鞍と照姫」の伝説については、『東京府北豊島郡誌』の刊行から約20年を遡った、明治29年(1896年)の小説『照日の松』(遅塚麗水著)を起源とする説が有力です。
この小説には、「照日姫」が登場し、また「豊島泰経が愛馬もろとも三宝寺池で戦死し「照日の松」から池を見ると鞍の輝きが見える」という筋書きがあります。ただし、小説が完全な創作か、地元取材をもとにした創作かは定かでありません。
明治41年(1908年)、地元から都知事に許可を願い出て、三宝池に沈むとされる伝説の「金の乗鞍」を発見しようと池の探索が行われたそうです。
このエピソードから、「金の乗鞍と照姫」の伝説が、当時すでに地域に浸透していたことが伺われます。